みやまクロニクル

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人生迷子の20代女が自由を求めてゆるく書く雑記

「寂しい」という感情と「ひとりの自由」について

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こんにちは、みやまです。

小説「肩ごしの恋人」を読んだのをきっかけに、著者である唯川恵さんのエッセイを立て続けに読みました。

専業作家になる前はOLを10年やっていて、豊富な人生経験を踏まえた文章はどれもそっと背中を押してくれます。

それらを読んでいると時々「寂しい」という言葉が出てきます。それは決して他人や読者を卑下する意味ではなくて、純粋に自分の心の中から芽生えた感情を指すものとして書かれているものです。

私はその「寂しい」というワードに出くわす度に、言い様のない違和感を覚えたんですね。どうしてだろう?と考えていてふと浮かんだのが、

「寂しい」という感情がわからなくなってきたのかもしれない

ということでした。

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そもそも「寂しい」とは?

「寂しい」を辞書で引くと3つの意味が出てきます。

  1. 心が満たされず、物足りない気持ちである。
  2. 仲間や相手になる人がいなくて心細い。
  3. 人の気配がなくて、ひっそりとしている。

「寂しい」は2.の文脈で使われることが多いような気がします。ひとりでいて心細い。でも、1.の意味で使うと、誰かといても心が満たされなかったら物足りなくて「寂しい」となるわけですね。

 

ひとりでいても心は満たされる

2.の意味だときっと私は傍から見たら「寂しい」状態に見えるかもしれません。実家から離れて一人暮らし、恋人もおらず、友人もごくわずか。仕事の後も休日もなるべくひとりで過ごしたい。

でも、私はひとりで本を読んだり音楽を聴いたりすることで心が満たされるし、インターネットを介せばいろんな人とつながることができる。物理的にはひとりでも、それによって心細く感じることはほとんどありません。

 

ひとりで何でもできるし困らない

もともと子どもの頃から室内で過ごすことを好み、みんなと一緒にやりたくないことをやるくらいならひとりで黙々と別のことをしていることを選ぶような性格だった私。

だからひとりでいることで困ることってなかなか思いつかないんですよね。誰かと一緒じゃなければできないことはそもそも私の行動範囲外だし。それを人は「寂しい」と言うのかな…。

 

ひとりの自由がひとりの寂しさを超えた

自分以外の誰かと喜びや悲しみを共有することが尊いというのは知っています。今までの人生で何度もその尊さを感じてきました。

でもやっぱり、誰かと出かけたり時間を共にしていても「帰りたい」「ひとりになりたい」となってしまう。ひきこもり気質だったり、人に合わせて行動することや人とおしゃべりすることが苦手というのも影響しているんだと思います。

他の誰かがそういう私を「寂しい」と指差しても、私はひとりでいることの自由さを愛してやまないのです。「ひとりでいる寂しさ」を自分の感情として捉えることがもはやできなくなってしまった気がします。

 

おわりに

女性がひとりでいることに対して寛容な社会に徐々にシフトしてきていますが、その一方でそれを卑下の対象として攻撃する風潮もまだまだあります。

どんな生き方をしていても、自分がそれに自身を持てているか満足しているか。その生き方で自立して堂々と笑っていられればそれが一番美しいのではないでしょうか。

「寂しい」という感情を忘れるくらい、「ひとりの自由」を気ままに謳歌し愛し続けていきたい。そんなことを思う27歳の秋です。

 

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