みやまクロニクル

人生迷子の20代女が自由を求めてゆるく書く雑記

自立への執着と二度の失敗を経て思うこと

子どもの頃から、将来は一人暮らしがしたいとずっと思っていた。

小6まで住んでいた社宅と、高3まで住んでいたアパートは、どちらも家族4人で済むのにギリギリの広さで、自分用の部屋はなかった。寝るときは父は私と弟の勉強机のある部屋で、母と私と弟はテレビを置いている部屋で川の字に布団を並べて寝ていた。

そういうものだと思って暮らしていたが、一人になりたいときも一人になれないのがどうにも耐えられなかった。

私の自立への執着は、家庭環境というより住宅環境に起因しているのではないかと気づいたのはずいぶん後になってからだ。

 

一人暮らしの自由さを知った大学時代

大学は実家から離れたところに入ることになった。一人暮らしすることになった部屋は、大学まで徒歩で15分・自転車で5分。駅まで徒歩10分。6畳の1Kのアパートは川の近くだった。

大学の友達と遊んだり、ちょっと遅く帰ったり、1限の授業をサボっても自由。好きなテレビ番組を気を使うこと無く見れたり、ふらっと旅行に出かけるのも自分の意志一つでできる。泣きたいときは声を出してわんわん泣ける。

高校を卒業するまで自分の部屋を持ったことがなかったので、自分だけの部屋があり、家にいるのは自分だけという自由さがとても気に入った。

 

最初の失敗

大学3年になりゼミの担当教員が変わったのだが、その先生とどうもウマが合わず、もともとそこまでゼミにも馴染めずにいたので、大学に行くのがだんだん億劫になった。専攻も自分で選んだのは良いが、あまり熱意が湧かず、他の授業も行かなくなっていった。

思い切って後期から休学し、興味のあった英語を勉強するためにフィリピンへ語学留学へ行った。3ヶ月の予定を5ヶ月に延ばすほど、すごく居心地が良かったし、勉強にのめり込むことができた。

帰国してからは、一種の燃え尽き症候群のようになり、大学へ復学するも目標が見いだせず部屋に引きこもりがちになった。

カーテンも開けられず、体調もすぐれず、なのに夜は眠れず、どんどん気分は滅入る。周りはもう就活して進路を決めているのに自分はなぜこうもダメなのかと責め続けた。

友人にも家族にも相談できず、すがるような気持ちで大学の保健室に行き、臨床心理士のカウンセリングを受けた。

カウンセリングでは、授業を受けられなくとも、散歩するなど少しでも外に出て見るようアドバイスをされた。また、うつの傾向があるから別の曜日に来ている精神科医に会ってみたほうがいいとも言われた。

保健室の先生が学生課を通して両親に話をしてくれた。だが、それだけではなく、ゼミの担当教員にも保健室に来てカウンセリングを受けたことを話したらしく、私はそれがすごく腹立たしかった。内容までは話していないらしかったが、それでも私には守秘義務を破られたような気がして嫌な気持ちになった。

結局、大学は退学し、療養のために実家に戻ることとなった。一度目の失敗である。

 

二度目の失敗

実家に戻った私は、父親のすすめもあり、実家から通える大学に3年次編入した。そのころには病院で処方された睡眠薬もいらなくなり、すっかり元気になっていた。

編入した大学では、卒業するという目標のために真面目に授業を受け、そこそこ良い成績をもらうことができた。ゼミや卒論が卒業に必須ではなく、授業の単位さえ取ればよかったのも気が楽だった。

卒業後は、就職のために再び実家を出て一人暮らしを始めることになった。駅から徒歩7分の2K。1部屋は和室なのも気に入った。

新卒で就いたのは英語を使う仕事で、外国人の同僚もいるような職場だった。しかし、常に人手不足なので、営業も販売も事務も、全部を自分でやらなければならなかった。事務作業は得意だったが、顧客への電話や目標数値という名のノルマ達成が苦痛で段々とキャパオーバーになり、立て続けにクレームを受けてしまうようになって、仕事に行くのがつらい日々が続いた。

何もしていないのに急に涙が出てきたり、夜に不安になって苦しくなったり、明らかにメンタルがやられていた。

休みの日も抜け殻のように気が抜けてしまい、人に会いたいとも思えなくなった。休みに彼氏に会うのすら苦行に感じていた。向こうは私に他に好きな人ができたのではと疑ってきた。好きな人どころか誰にも会いたくないくらい精神的に参っていることを話したが理解してもらえず、話すのも嫌になり一方的に別れた。

病院でストレス性障害の診断を受け、復帰するつもりはなかったがとりあえず休職して実家に戻った。その間に上司が変わり、新しい上司はいつ復帰するのかしつこく連絡してきた。体調が良くなる見込みが無いのでやめます、と伝え、その月の末日で新卒で入った会社を1年にも満たずに退職した。二度目の失敗である。

 

人に会いたくない、一人になりたい

退職をした私に、両親は温かく接してくれた。一人暮らしの部屋を引き払ってこっちで暮せばいいと言ってくれた。

しかし、その優しさすらその時の私には重荷で、誰とも話したくない、一人になりたいとばかり思っていた。実際、実家にいても調子は悪いままで、だったら一人暮らしの部屋にいたほうがまだマシだと思い、逃げるようにして部屋に帰った。

貯めていた貯金を切り崩しながらの病み病みニート生活。でもそれでも自分で稼いで貯めたお金で生き長らえているのは、ちょっと嬉しかった。同時に、家族とでさえ一緒に暮らすことにつらさを感じてしまうなら、一生結婚も無理なのかもしれないとも思った。むしろずっと一人でいるほうが気楽であるとも。

それであるならば、自分一人食っていける程度には稼げる仕事につかなければならない。金銭的に自立しなければならない。そう強く意識したのである。

 

自立って楽しい

ニート期間を経て短期のつもりで始めた派遣の事務の仕事が長期になり、現在は派遣先に直雇用してもらっている。顧客への電話や接客は一切なく、土日祝日は休みで残業はあっても30分ほど。休みたい時に有休が使えるし、給与は高くはないが自分一人生きていくには事足りる金額はもらっている。

好きなアイドルのCDやDVDを買ったり、本を読んだり、音楽を聴いたりを自由にできる空間があること。そして無理のない範囲で支出できること。

ただ生活のサイクルを回すだけでもいいのだが、その中に娯楽を入れられる余裕のある自立って、楽しい。その楽しさを噛み締めながら今日も過ごしている。