みやまクロニクル

人生迷子の20代女が自由を求めてゆるく書く雑記

テレビを捨てようとしていた話

f:id:miyama-chronicle:20180604215802j:plain

NHK受信料の支払いが迫っていた4月、私はテレビを捨てようか迷っていた。

最近は惰性でテレビを見ることがなくなり、ニュース番組すらも見なくなっていた。たまに見ても週に1~2回くらい。テレビを持っていることも受信料を払うことも、なんだか意味がないように感じていた。

スポンサーリンク

 

受け身のメディアは時間泥棒だと気づいた

テレビは受け身のメディアである。電源を入れれば、情報の波が視覚と聴覚に訴えてくる。

目的の番組を意思を持って選んで見ている人はどれくらいいるのだろう。テレビっ子だった時期は延々と何時間もチャンネルを変えながらテレビを見ていた。

目的もなくただテレビを眺めている時間は何も考えなくていいけれど、ともすれば時間の浪費である。ダラダラとテレビを見る時間で睡眠時間を確保したり、勉強したり、読書したりすることができる。

ただ受け身で消費するテレビというメディアは、今の私にとっては時間泥棒なのだ。

 

歌番組の陳腐化

なんでまたこんな話をしているのかというと、昨今の歌番組の残念極まりない状況を憂いているからである。

歌番組なのにアーティストに割かれる時間が減って、そのかわりによくわからない一般人の映像を見せられるのがキツい。どこの誰があれを見て喜ぶのだろう…その予想も立てられないくらいには番組側から想定されている視聴者の枠を外れているのだろうな。

 

バラエティを見るのがしんどい

他人をけなして笑いを取るタイプのバラエティが胸糞悪くてどうにも見れなくなってしまったのと、取り上げるトピックに興味がわかなくなってしまった。

端的に言えば、自分の関心とか嗜好とかからズレてることが多くて、そのズレに気づくたびに息苦しさのようなものを感じてしまうのだ。

しかし、別にテレビを見てなくても会話に困るようなことはない。Twitterを見ていれば話題になってるテレビ番組のことはいい意味でも悪い意味でも目に入ってくるからだ。単に私が対人での会話でテレビ番組のことを話題にしないからというのもあるとは思う。

 

ドラマも見るのがしんどい

軽い気持ちでドラマ見とくか~ということができなくて、重い腰を上げて見たところで、ストーリーや設定や表現が見ていて不快になってくるともう続きを見れなくなってしまう。

まあでも連ドラはもともと見るのが得意ではないので、今に始まったことではないのだけど。なんでこう、誰も傷つかない心温まるタイプのドラマが少ないのだろう。みんなそんなに過激なストーリーや描写を求めてるのだろうか。

2018年春クールは「〇〇な人の末路」しか見ていない…推しが出ているから……。

 

そもそもリアルタイムで見る体力がない

テレビを見る機会が減った最大の理由は、洪水のように情報を流してくるテレビをリアルタイムで見る元気がないからである。いつからか神経質になってしまったので、視覚も聴覚も否応なしに支配されるのがどうにもしんどくて、その上CMで時間を食われるとTime is money…と心の中のアメリカ人がささやく。

だからテレビをオンタイムで楽しく見続けられることって、体力も気力も充実してないとできないんだろうな。

 

それでもテレビは捨てられなかった

今の私の性質でテレビを見るというのは、なかなか相性が悪いというのは自覚している。テレビを見なくても生きていけるし、今は見逃し配信も充実している。

だけど、私の家にテレビはあるし、NHKの受信料も1年分払った。

すべてのテレビ番組を見れないわけではないし、なんだかんだ推しがテレビで活躍してくれている時はできるだけ見て応援したいと思う心が私にもまだあるわけで。

ただ、来年もテレビのある暮らしをしてるかどうかは確信がない。ちょっとここは経過を見たいところである

スポンサーリンク